柔道整復師とは、鍼灸師とは、なんぞ
秋田大館の曲げわっぱの職人さんの話をテレビで見まして思ったことがあったのでブログにしてみました〜^^
それでは今回もよろしくお願いしまーす!
こんにちは☺️かえで接骨院代表の岩野現です。
で、大分の曲げわっぱの職人さんで、女性として初めて独立開業した方がいるというニュースをみました。
その方は伝統工芸品とは「今を生きる物」だと言ってました。
確かにそうだな〜と思いました。
「今を生きる人に認めてもらい、必要とされるものでないと意味がない。」そういうものが伝統工芸品だと。
ハッ!とさせられましました。
もうこれ、、、まさにそうだなと、、。
昭和や平成の時代は趣があるものが求められたけど時が経ち、結局ずいぶん前のものは古臭くて求められてない。だからあまり売れないし、それに固執しているとなかなか発展していかないという状態になっている。
それは伝統工芸品が問題なんではなくて、「伝統工芸品が今を生きる物」となっていないから。
「今を生きる者に必要とされていない」ということが根本的な原因だろうと、そういうことなんですね。
伝統工芸品もいろんなものをいろんなアイディアで変えていく。
今風にしていく、それが大切なんだなと。
それが伝統工芸として続いていくために必要なことなんだなと思いました。そもそも昔からそうやって繋いできた伝統工芸が今私たちの前にあるわけですもんね。
おそらく先人の職人たちもその時代に合わせて変化させてきたはずなんです。だから今も私たちの前に存在するわけですから。
これは私たち柔道整復師、鍼灸師にしても全く同じことが言えるなと思いました。
私は柔道整復師や鍼灸師は伝統医療であり、日本が培ってきた伝統的な医療だと思っています。
それは間違いないことだと思います。
そもそも西洋医学が入ってくる以前から鍼灸であったり柔道整復、つまり「骨接ぎ」と呼ばれる人たちが、人々の怪我だったり脱臼骨折なんかを治していたと言う過去があります。
それが継承、発展して今に至っているわけだけども、これはまさに「日本の伝統医療」でしょう。
その伝統が曲げわっぱの話から考えると、まさに同じ状況におかれていると思ったんです。
じゃー私たちが受け入れられて発展していくには今を生きる骨接ぎ、鍼灸でなければいけないというのとになるんですよね。
なので古来からやっていることそのものが大切なんではなくて、古来からやっていることを土台にして今の時代で何ができるかっていうことを模索し、それを具現化すべく行動していく。
それがやらなければいけない最も重要なことなんじゃないかなと思います。
国家試験の勉強なんかは、全てが急性の外傷の知識、西洋医学の基本である基礎医学、臨床医学など、いろんなものを学んで国家資格を取得するんですけども、柔道整復師としては学校で習ったことをやらなければいけない!
それ以外はアカン!!
などのように昔はそう思ってました。笑
20数年前に私が学校出て出たばかりの頃は、まだそういうニーズも多くあって、骨折や脱臼でも接骨院を頼ってくれる人もまだまだ多かった。
ところが今やどうでしょう。
腕があっち向いてしまった状態で、接骨院に来るなんていう人は数少ないでしょう。
居ないとは言いませんが、皆無と言っていい。
そもそもレントゲンを撮らないといけないから最初から整形外科に行った方が効率が良いわけですよ。
(応急処置を除いて)骨折や脱臼して接骨院をファーストチョイスにするという世界を作ろうとすることの時点でナンセンスなのかなって思ってます。
まぁ僕もそういう昔の時代を生きてきたので、外傷の治療ってやっぱりすごくやりがいがあるし、喜ばれるし、素晴らしいものだなという気持ちは無くなりません。
それが徒手でできる非観血的(手術などの体を侵襲しない技術)にできるっていうのは素晴らしい技術だなと思うんだけども、
それが果たして「今の時代を生きるものなのか?」って考えたときに、
やっぱり違うよな、ってなるわけです。
おそらく多くの先生が「診なければいけない」とか「外傷しか診てはいけない」という思想ではなく、
『外傷もちゃんと診ることができるべき』だよねっていう、考えだ思うのでそれを前提にして話を進めますね^^
「伝統医療」として今の「時代を生きる」「選ばれる」というこのブログの起点に立ち戻って、
じゃあ、どういうものを私たちは伝統として残して行かなきゃいけないのかな?ってなったときに、
今までの柔道整復師や鍼灸師の先生方って根本的に何を大切にしてきたのか?ってことですよ。
それを考えるとやっぱり「人」を診てきたんだと思うんですよね。
整形外科なり西洋医学が良いとか悪いとかっていう話は別として、
やはり西洋医学は「数字」だったり「画像」だったり、目に見えるもの、形に現れるものや数字、そういったものから病態を導き出してそれに対してどのように対応するかを考える。それが基本的な方法だということで間違いないと思うんだけど、柔道整復師や鍼灸師って数字とか画像って基本的には見れないわけです。(エコーとかあるけども)
その時に私たちが何を見てるかって、
実際には数字でもないし、
まぁそりゃ色々な検査で数字を出して理学的な所見を集積することもあるんだけど、
それらを集めた最終最後には、
「最終的にはこの患者さんはがどうなりたいのかなあ」とか、
「どんなことに悩みを持ってるのかなあ」とか、
「どんな生活していて、どうなることが良いのかなあ」とか、
そういったところまで包括的に、1人の人を見て、
その人がどうなりたいのか、
どうなったらいいのか、
そういうことを目指して2人3脚で行う。
それが僕らの先人たちが大切にしてきた部分だと思うんですよね。
その人を全体的に、
言ってしまえば、家族などのバックボーンやその人の生きかたまで考えて、
そこに僕たちの施術、治療がどんなきっかけを与えられるのかということを考えて進める。
まずこれは改めて重要なこととして残し、これからも研鑽していくべき部分かと思います。
そして、「今を生きる者から選ばれる」という課題についてです。
選ばれたいからといって流行りのものとか、
コレをすれば腰痛が解決しますとか、
コレだけやったらオッケーとか、何かそういう短絡的ものじゃなくて、
ていうか、SNSの発展で、
「たったこれだけで〇〇◯になれる」みたいなのが大量に出てますよね。
私たちの動画サイトでもそういう動画を作ってあげています。
が、
そういうことじゃない!!笑
まぁ、これについては「どう選ばれるか」そのために「どう在るべきか」という哲学的な所が含まれるので全体としてというよりも私たちかえで接骨院としてどうするのか、という内容になります。
今を生きる伝統工芸と同じく、「伝統医療」として今を生きる人に合わせて、
今を生きる人たちが、やっぱりいいなと思うものを提供するっていう考えから
僕らは何をしたらいいのかな?って思うわけです。
結局さきほどから言っている、根幹となることをより強く押し出していくべきかなと思う。
人を見るとか、人の人生に寄り添うとか、その中で僕らが今求められていることとしてできることっていうのは、
外傷の処置とかじゃなくて、
ライフパートナーとしての関わり合いとでも表現しましょうか、
そういったところに今この現代での僕たちの価値ってのがあるんじゃないかなと思います。
その中のメニューとか枝葉として、体のバランスの調整だったり、ダイエットであったり、
ダイエット一緒にやって生活習慣病予防したりとか、患者さんがお医者さんで西洋医学の検査数値が良くなるようにサポートするとか、さらに言えばメンタルなところとかもね。
カウンセリングに近いものだったりもするかもしれないけど、施術のベッドサイドでそういった話をして、それに対しての解決方法の提案をする。そのために勉強したりいろんな情報とってきたりするわけで。
僕らが直接解決する事は不可能だけど提案して共に歩んでいく。
だから今僕がやりたいこととすれば、包括的に体を見る。
そして健康のパートナーとして共に歩んでいく関係性になる。
そのように私たちの施術も進化して行かなきゃいけないのかなあって思ってます。
決して目先の物である数字だったり体重だったり、骨盤の歪みだったり、なんかそういったものではなくて、
もっとその先の深い部分にあるところを解決できるような施術、関係性を作る施術にしたいなと思っています。
秋田の曲げわっぱが伝統工芸として、古い伝統だけを重んじたり、しがみついたりするのではなくて、
今を生きる人たちに必要とされるもの、今を生きる人たちが必要なものを作り出していくということを自分たちに置き換えたら、私たちは柔道整復師、鍼灸師として、古くから包括的に人間そのものを見て、本人はもちろんなんだけど、その人の周りの環境などのいろんな角度からその人の状態を紐解きながら施術をしてきた。
私たちかえで接骨院はそういう、
ちょっと言葉としてなんと表していいのかわからないけども、
包括的治療?包括的施術?で、パートナーとして、ライフパートナーとして、
ヘルスパートナー?ウェルネスパートナー?名前はなんだかわからないけど、
その価値を皆さんに提供できたらなと思っています。
私たちも伝統的な医療をこれから未来の方々に対してどう残していけるか、
先輩諸兄姉が築いてくれた礎をより高みに築いていけるか、
そういったことを大切に思いながら提供するものを考えていきたいなと思っていますし、
日々そういったものを探求していきたいなと思っています。
特に私たちかえで接骨院はそういうところを重視しています。
西洋医学みたいに、死にそうな人を死なないようにするとか、肺炎で肺が真っ白になってるような人を抗炎症薬や抗生物質やステロイド系の薬でパリッと救ってあげるとかそういったそのことは絶対にできないけど、むしろできないからこそ、もう少し広い意味での治療だったり施術だったりっていうのが僕らが今までやってきた事なんじゃないのかなと。
それが柔道整復師や鍼灸師の先人たちが後世に残すべく大切にしてきたことの中心なんじゃないのかなと、
そんな風に改めて思ってます。
まぁ、これが今を生きる人に求められていることなのか?!という疑問は残りますが、私は情報過多で取捨選択のために苦心する世の中がこれからも加速していくと考えていますので、必ず必要とされると信じています。
具体的な部分としては、自律神経だったり陰陽論だったり、包括的に全体を見て患者さんと共に歩んでいくサービスを強く押し出したいなと思っています。
以上終わり!!!笑