2021年9月10日

上堰潟公園にて

 

暖かい日、肌寒い日、それを繰り返しながら季節はどんどん秋めいてきています。 僕はロッククライミングをしているので乾燥が強くなっていくこれからがハイシーズンです。(岩は乾くほど登りやすくなります)

 

秋は贅沢な季節だと思います。
〇〇の秋、って言葉がいっぱいあるのは何をするにも過ごしやすい季節で、食べ物も(特に木になるもの)も収穫を迎える良いことづくしの季節と言えます。

しかし、

僕はどこか寂しいのです。

なぜかは自分で知っています。

それは、

「夏(summer)」が終わってしまうからです。

四季の中でも夏と言う季節が圧倒的に好きで、その夏が終わってしまった寂しさもあるのですが、それだけじゃなくて、
たぶん、夏と言うのが僕の中の“童心”そのものだからなのだと思います。子どものころの楽しい思い出は夏の遊びや景色が多いように思いますし、当時は秋になると日の短さに遊ぶ時間が少なくなる嫌な不完全燃焼感みたいなものを子どもながらに感じていたし、実りの秋なんてものに興味や恩恵を感じることもなく、幼少期に太っていた僕はスポーツの秋だなんて言われてマラソン大会があることの理不尽さに大人のズルさみたいなものも感じていた。

その童心の夏が終わることの寂しさと、

実りの秋の呼び名の通り、食べ物の集大成が如く円熟期を迎えた果物や木の実、脂ののった魚・肉、きのこ、、、
自身がロッククライミングをしていることもあり、秋にその年の身体の鍛錬を試されるスポーツの秋。ロッククライミングで訪れる山々の紅葉はもっとも美しい自然の景色の1つに思う。

そんな、秋の素晴らしさに気付けるようになってしまった、大人になってしまった自分の寂しさ。

大人になったからこそ、童心を呼び起こしてくれる夏の陽射し。
その陽射しが弱っていき、本当は秋が近づいているのを気付いていないふりをする自分。
(その繰り返し)

 

つまり、いまは秋も好きですよ。ただ、さみしさは感じるもの、ってだけです。

実際、甥っ子や姪っ子には涼しくなってきて運動しやすからスポーツしろとか、秋は美味しいものがいっぱいで良い季節なんだよ、と当時の大人と同じような説教をする自分がいまはいます。

勝手ですね。

 

季節の変わり目、変化の季節。
体調を崩しやすと言われますが、変化を起こしやすいとも言えます。
何か、生まれ変わりたいなら良い季節かもしれませんね。

 

 

小針院
小林 純也